ひめゆり部隊 「抜くなと」教師は叫んだ

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2008年5月 8日 19:50 | ノート

完全公開 ひめゆり部隊 「抜くなと」教師は叫んだ

ノートです。

1人の一言で、救われた命があった。

この事実を次の記事から知り、何とも言えない気持ちです。



(ひめゆり)

■抜くなと教師は叫んだ

  沖縄戦で生徒たちの集団自決を止めた教師がいた。

  仲宗根政善先生はひめゆり部隊の女子生徒12人と沖縄本島南端に追い詰められた。

少女たちは車座になり、3個の手投げ弾の栓を抜こうとし「先生、いいですか」と叫んだ。

先生はとっさに「抜くのではない! 抜くな」と叫び返し、少女たちは従った。

(琉球新報社「ひめゆりと生きて・仲宗根政善日記」)


  戦後、先生は琉球方言研究の第一人者となる一方、ひめゆりの記録や資料館づくりに打ち込んだ。
残された日記は犠牲者への思いと教師としての自責が繰り返される。

こんな一節もある。「日本の教師にして、あるいは世界の教師で一九四名の教え子たちを死地に追いやったのは、今では私一人だけであろう」

  男子生徒の鉄血勤皇隊と共にあった沖縄師範の野田貞雄校長も、同じころ「勇気を奮い起こして生を全うせよ」と諭し、解散した。この無駄死にをするなという訓示を残して彼は帰らぬ人となる。 

 生徒の一人だった大田昌秀隊員(後の県知事)は、戦後、遺族を訪ねた。

・・・・・(中略)・・・・・

「先生の一言で、何十人かの若者たちが、『生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず』といった禁忌をのりこえて生を全うすることができた」

  63年前の今日は、沖縄本島に米軍が上陸し「あらゆる地獄を集めた」といわれた地上戦が始まった日である。

(毎日新聞 2008年4月1日)




何かの本で

「死ぬことより、生きることの方が大変である」

という言葉を目にしたことがあります。


そして、

「死ぬ勇気があるなら、生きぬく勇気をもて。」

という言葉も、ずっと心に残っています。


時代がそれを許さない時が、日本にはあった。

その事実を考えさせられた、記事です。









戦争は大きな傷あとを残して行きますよね。戦争から学ぶことはあっても、失うものが大きすぎる。命の大切さを考えた時、みんなが何を思うのか、過去から何を学ぶのか、そんなことを私も考えました・・

by. ノート

小学校の頃、映画「ひめゆりの塔」を鑑賞しました。 当時は戦争映画の鑑賞会を、学校が時々行っていました。 さだまさしさんが主題歌を歌い、栗原小巻さんが主演していたと思います。 とにかく悲しい映画でした、戦争なんて嫌だなぁと感じたのを覚えています。 多くの人がお国のために強制的に死んだけれど、生き抜いた方もおられたんですね。 命の大切さを痛感しているからこそ、この教師は叫んだのでしょう。 簡単に命を絶ってしまう今の若者にも伝えたい言葉です。 沖縄基地の米兵の犯罪のニュースを聞くと、戦争はけっして終わっていないのだ、と思います。

by. cocoa


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