♪ 推薦 「ツキを呼ぶ 魔法の言葉」紹介

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PN  まる美
2008年6月13日 21:32 | PN まる美
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完全公開 ♪ 推薦 「ツキを呼ぶ 魔法の言葉」紹介

こんにちは。 

五日市 剛 著 「ツキを呼ぶ 魔法の言葉」
道理に適った使い方をしていて、とても判りやすい本です。
この世の物質は すべて波動を持っているのですから、
良い波動の言葉を使えば 好転するのは、当然でしょうね。



追記
私はまだ「日本書紀」や「古事記」を読んだことがありません。
が、茶化すような内容ではないはず。
神と表現はしてはいるでしょうが、
実際、私たちが想像するような超人的な神ではなく、
普通の人であったかもしれません。
が、私たちの祖先の記録の一部であることには、違い無いはず。
祖先に対する敬う気持ちがないのを見ると、良い気分にはなりません。
恥ずかしいですし、現代の日本人の精神的狂さの一端を見たような気がします。
物語の奥深さを読み取ることも出来ないものが
自分の祖先を笑いものにしていることがとても、恥ずかしいのです。
宗教の枠を取り払って考察しても、
無から有を生み出すことが出来るのは、神のみ。
その原点を考えれば、人類のかかわるものすべてが、
神から生み出されたものです。
そこに感謝の念、無償の愛を感じなくなっていることの恐ろしさが、
現代の無差別事件を起こす要因にもなっているような気がします。
古代史の表現がおかしいと、お笑いのネタを探すような読み方をする
現代人の浅はかさが、末恐ろしいです。
神を敬うこと、感謝することは人としての、原点。
それが、失われているのだから、狂う人が増えてしまうの。
とても、嘆かわしいです。

追追記
私も本を読むのが、好きです。ですから、本の紹介もしたいです。ですが、中身を抜粋して書くと「著作権」にかかわるでしょうし、自分の解釈など加えたら、それは創作になってしまいます。
多くの人に興味を持ってもらうためにと言い、表現の自由を盾にしても、
元の作品の品位・品性を落とすようなことは、「してはいけない」ことのひとつではないでしょうか?
また、その本の価値を下げるようなことになれば、
元の著作者に申し訳ないことをしている。
謝ればすむことではないと思います。著作者がプロであるなら、
なおさら。プライドを傷付けかねない行為はしてはならない、と思います。
若者受け?インパクト?そこを強調するためとはいえ、汚い言葉や表現は
ふさわしくない作品だと思います。
一般的小説なら登場人物に合わせて汚い言葉など表現されることに、
異存はありません。
汚い言葉を一般人である我々が何の躊躇なく、疑問もなく平気で使っているということが「いじめ」や「犯罪」の一端であることも、認識すべきです。
「言霊」があると思っているなら、なおさら話す言葉にも、書く言葉にも、
汚い言葉や表現は避けるべきでしょう。

tukikoさん こんにちは。 どういたしまして。 付箋、ありがとうございます。

by. PN まる美

この付箋で、なんだか、やっと話せそうな気がしました。本当は、被害妄想なのは私なのかもしれません。マル美さんの汚い言葉を注意する付箋に興奮したのではありませんでした。ああ言う書き方をした意図を説明したつもりでした。それに対する付箋と独り言の付箋に怖さを感じました。 本来、マル美さんの詩は共感できますし、色彩のこと、なぜか、私が興味を持っている事のようです。確かに前の黄色の付箋は冷静さを欠いています。一条ゆかりさんの事を書いてあったので、りぼんも懐かしく思いましたが。癒しの色のはずの緑の付箋が恐ろしくかんじました。 何度もここに来ています。上手く自分を表現できない私です。

by. tukiko

う~~ん、あんまり愚痴は言いたくない。でも、納得がいかない。 どう、見てもこちらが悪者扱いにされている。 だから、女の園って嫌なんだよね。新参者をはじくし、グループで固まりたがるし・・・。 冷静なコミュニケーションがとれず、うわべだけの慰めあいの言葉が飛び交っている。 羊の群れに入れない、入りたくないものには、居心地よくないです。 そんなことない、と意識では思うでしょうが、無意識でそういうことをしているので、気付かない。 意見交換もできない。 意見にはイエスもノーもある。どちらもいえない状況のサイトで、おもしろいことはない。 「侮辱された」と書かれれば、そんなことをした覚えもないのに、したことになってしまう。反論の余地もない。間違われたちかんの気分です。トホホ。 被害妄想だよ。と言い切れない、振り切れない思いが張り付いている。 キチンと説明するには、あと30枚ぐらい付箋貼りそう。

by. PN まる美

ひとつの問題提議から広い視野で考え書くとき、テレビやラジオの情報も含めて書いてしまいます。 そうしないと、意図しなくても個人攻撃のような記事になってしまいます。 社会とか世間をひとくくりした、物の書き方になります。支点がぼけ、判りにくくなります。 書き手と読み手は180度対極にいるとした場合、わかりあえないでしょうね。

by. PN まる美

あまり関連はありませんが、いきどうりっていうもののやり場がないので、書かせてください。 書き直すくらいなら、反省はないなんて書いてはほしくないですね。他に付箋を付けて応援してくれている人の付箋まで削除は失礼ですね。 感情的な言動は不安を広げますね。 私は何を書かれても付箋を自分の一存で削除はしたくありません。 付箋を付けた本人が判断するのが、望ましいと思います。 いろんなことで、ここの使い方、遊び方が学べました。ありがとうございます。 付箋を貼る怖さも身にしみました。

by. PN まる美


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ノート荒らしではありませんので、他に飛んで、付箋を付けることはしません。 この問題はこのページのみです。 「ピンクよりオレンジ色が似合うよ」とアドバイスしても、つつかれたハリセンボンのように、全身針だらけにして「ピンクがすきなんだからほっといてよ」と言われたら、どうしょうもないですね。 色のセラピストに聞くと、好きな色と似合う色は違うことが多いらしい。 知っている事が行動で表せられなければ、知らないと同じ。 表現の自由は万能ではない。己の道徳心が問われているのだ。

by. PN まる美

未奈さん、ありがとうございます。未奈さんのように、自分を見つめ、努力する喜びを感じている方は、周りのアドバイスにも聞く耳を持っているでしょうから、日々美しい花を咲かせていることでしょう。 ありがとうございました。

by. PN まる美

私は仕事(営業)柄、沢山の人にお会いします。そりゃ、生き様は様々です。悔しい思いや腹立たしい思いも沢山あります。でもその中で私がしたいのは、お客さんに喜んで関わってもらいたい、ということなんです。だから一方的にとか、渋々とか、嫌々で付き合ってもらいたくないんです。だから気持ちよく事が運ぶように、どうやったら自分の思いや、時に相反する意見を届けることができるかが自分の工夫なんです。その時に毒を秘めていることはとても役にたちます。相手の毒も理解でき、自分が振り回されなくてすむからです。表に出さずとも、人はそれぞれ毒を秘めています。それはここにおられる方も!本当はだせば、結構毒舌さんが多いとみています(笑)でもまずはそっと感じてみようと思われていると思います。そしてそれがその人の中で蜜に変わるのを、生温かいかもしれないけど、見守っていると思います。その意味でこのB-noteは他のサイトにない女性ならではのよさもあると感じています。誰もが美しい花だと多数の人は感じて静観したり、接していると信じてみたいと思っています。PNマル美さんと私は見ている世界は同じと思います。手法に見解の違いがあるだけのことです。でも磨きをかけていくべきものがあり、他者を思って生きるというのは、素晴らしいことですよね。やはりまとめは苦手です!2つで収まったとはいえ、長々とすみませんでしたm(_ _)m今度は今日の1編の方にもお邪魔させて下さいね。

by. 未奈

付箋ありがとうございました。好意的に捉えていただきほっとしました(笑)誰しも他者に意見をぶつけていく時は緊張しますもんね。。毒花についてちょっと考えてみました。私は・・・たっぷり毒を含んだうつくしい花になりたいです!そしてその毒を甘い蜜に変化させて蝶に与え、花粉を運んでもらい、命が続いていくような自然循環の一つでありたいなーと思いました。多分出せば私にもかなりの毒があり、根はかなり毒舌です。それは美しいものだけを体験してきた訳ではないし、苦しみ、悲しみ、孤独、絶望感・・・多分ここにおられる方に近い経験は一通り通ってきました。しかし年齢とともに様々な感情を包み込み、自分を癒し、その毒も糧として生きていこうと決心してから、まずは自分の毒が蜜になりました。そして最近は、その毒をどのように使うかをよく考えます。その場合には他者も自分と同じく美しい花、と思うように努めています。もちろん人は自分の思いや見方、問題に向かい合う覚悟はそれぞれで生きていますから、もう少しこうすればいいのに!!と、自分も乗越えてきた道ですし、思うことはよくあります。昔ならもどかしくておもいっきり毒を吐いていました。相手に気づいてよくなって欲しいと思うから。自分の気づきを生かして欲しいと思うから。でも最近思うのは、きっと私が毒を吐かなくても、私には見えない日常生活で、散々毒を飲んできてるんだよなー、そのせいで一見!?ととれる行動や表現になるのかなーと思って毒の出し方を考えます。自分の毒で自分の心や体も影響を受けることにも気づきました。

by. 未奈

非難でも反論でも、どうぞ、なんなりとお書きください。 それを書いたときの責任もお考えになりながら。

by. PN まる美

病院にかかることはありませんでしたが、3年間ほど「うつ」状態でした。抜け出した時始めて「うつ」だったと気づきました。不安定な人の気持ちは察します。 ですから、あえて毒花になります。 わたしごときの者を踏み越えて行って強くなってほしいです。 うちにも子供がいます。 幸いにも天災にあうリスクの少ない地域に暮らしています。 ですが、災難にあったとき、命にかえても守る覚悟を心の片隅に置き、一日一日を大切に生きること、悔いを残さぬよう、お詫びと感謝をしながら、生きています。 何もしなかったと悔いるのではなく、休ませてもらったと感謝し、やるべきことをこなした時には、よしよしと満足し、天に地に家族に愛の感謝をします。 結婚20年、今一番幸せと言い合えています。 主人に「淋しい思いをさせないよう長生きしてあげるね」と打ち合わせ済みです。 自分のすぐ隣に癒してくれる人がいます。 が、孤独は心の中に存在しています。 親でも伴侶でも子供でも100パーセント分かり合えることはないからです。 でも、それでいいのです。 孤独は自分自身を映す鏡であり、死出の友です。 だからこそ、今が一番幸せと言える毎日にしていきます。 すべては覚悟の上にあります。

by. PN まる美

未奈さん、初めまして、こんにちは。 付箋を付けて頂きありがとうございます。 未奈さんのようにお考えをきちんと伝えて頂けると、大変嬉しいです。ありがとうございます。 私はあえて毒花とならせていただきます。 私という毒花を見て、皆さんの心に「自分はきれいな花を咲かせるぞ」という励みと今まで意識をしなかった考えにまで、踏み込んで考えてる機会にしていただきたいです。 機嫌や気分を損なわないようにと「ごめんなさい」「すいませんでした」「申し訳ありません」ということは簡単ですが、それでは、相手の方の利益にはなら無い時もあります。 人とは多面体の心を持ち、一面ずつしか表現できず、その連続で人としての全体像が表れてくるものだとも、判っています。 表現方法の違いはあれど、tukikoさんの言われることも、未奈さんの言われることももっともなことです。 こういうことを踏まえて、さあ、次はどんな意見が飛び出すでしょう。 と、楽しませていただきます。 ありがとうございます。

by. PN まる美

神の一元的世界で生きようと思えば、人のあり方には、いいも悪いも原因や意味があってのこと、と思えます。そして自分同様に他者も神の愛の計画の中で人生を歩んでいることに行き着きます。否定や非難はともかくとして、静観してその思いを汲み取ってみるか、または向き合って改善点を指摘してあげるかは個人の裁量に任されたことだと思いますが、後者の立場を選択するのなら、この他者に断片的にしか伝わらない可能性もあるネットでは先ほど述べたように、より深い洞察で関わったり、自分の思いも表現していきたいものですよね。ネットは現実とは確かに違いますが、様々な価値観に触れることのできる成長の場にすることもできる、と私も同じように思っています。私はこの場では新参者です。しかし、徐々にこの場がどのようなことを乗り越えて今のような場になったか、自分が書く以外にそれぞれのノートを拝見したり、付箋から感じようと思って眺めています。そしてそれは現実に生きる自分の人間観や社会観を深める一つだとも思っています。長々と失礼いたしました。私にとってもまとめる、という作業は修行のようです ^^;

by. 未奈

全体をよりよいものに、そして人としても向上してほしいという思いには大賛成です。その気持ちを行動に移す場合に、PNマル美さんが最初に投げかけた付箋に対して、とまどって、ためらって、色々思案されている段階で、表現にまだ現れないのかなぁと相手を感じながら表現することもできるのではと思います。ネットとはいえ、コミュニケーションは一方通行では成り立ちません。この場を高めあおうという優しいお気持ちがあるのでしたら、たとえ正しいことを自分が言っていたとしても、相手の受取れる状況、受取れない状況や発展段階も思いやり、受取り方も想定しながら伝えていくのが、望ましいかと思います。静観するなら静観するで構いませんが、公に記事を書くということは、自分ではOKだと思うことに、最初にPNマル美さんが感じたような違和感を感じる人もいるということですから。ここには確かに癒しを求めている方は沢山おられます。そして書くことで自分を整理し、発展的に日常の現実に向かっていきたいと準備している方もおられます。それぞれの方のnoteを流れとして読むと、その方の表現のくせ、考えのくせ、言うにいえぬ思い、それぞれの喜怒哀楽が表れてきていると読むこともできます。一神教と違い、神の世界には善悪、正誤2元的な捉え方はないように、それらはすべてそれぞれの過程であり、どの歩みもすばらしものだと思いませんか。だからこのB-noteと言う場は、そういうものが交差した一瞬の場にすぎません。その一瞬からすべてはわからないし、ましてそれを敬意がない、と評価したりするのは少々乱暴かと存じます。

by. 未奈

お邪魔します。たまたま付箋のやり取りを読み、ここ数日、一連の経緯や最近のノートも読ませていただいておりました。最初にPNマル美さんから表現について付箋を貼られたことは、そのような見方をされるかたもあるだろうと、理解できました。しかしその後、たとえご自身のつぶやきだとおっしゃられても、一連のやりとりを見ていた方は、そのようには思えない方もいらっしゃるのではないでしょうか。 偶然かどうか古代史2史を明記、特定した上で、「先祖を笑いものにしている」とか「神を敬っていない」とか少々手厳しい表現を拝見すると、その2史をnoteしておられた当事者の方は胸の痛みを感じるだろう思います。確か、彼女は自分なりの解釈として、とか、専門家の方には申し訳ありません、とか、ご自身の見解を明らかにして何冊か書いておられたはずです。だから以前よりここに参加し、彼女の文章に付箋をつけられていた多くの方々は、彼女の世界観や独特の表現をも理解し、神の世界への入口を広げてくれる「一つ」として、 好意的にあの場が成り立っていたように思います。そして神々の世界を皆に味わってもらいたい、という表現の奥にある思いも理解しておられたように思います。しかし、その流れから、断片的な部分だけが切り取られ、彼女と見解の違いが議論される前に、ご自身のノートにもう少し当事者への配慮があればいいのでは?ととれる自論を展開されているように映ってしまいました。

by. 未奈

癒しを求める現代人とマスコミなどにも取り上げられますが、こんなところで慰め合わねばならぬほど、日々の生活に疲れているのでしょうか? 災害に遭われた方なら致し方ない。 家族や伴侶や友、一番身近な人間はそれほど頼りないのかな? 「じゃあ、あなたは何?」と聞かれそう! 私は「創作」という趣味の場ですね。 私生活は経済的に苦しくても、充実していますもの! 忙しいこともうるさいことも、楽しんじゃえ!と前向き人間に改造しましたから。 どうして?って、絶対的信頼と絶対的愛と絶対的普遍で「神」を信じているからです。宇宙意思と言葉を変えようが何でもかまいません。 変えようもない揺るぎないものの中で生きている強みに「気づいた」から前向きになれました。

by. PN まる美

このページに付箋をつけてtukikoさんだけですので、tukikkoさんに向って書いているように思われるのでしょう。 でも、決してそんなつもりはありません。付箋を貼って下さったtukikoさんはとても、反応が素直な方です。 自分に嘘のつけない裏表の少ない方とおみうけいたしました。 ですが、注意とか提言とか、より良いものにしてほしいという意見は「大きなお世話」なんでしょうね。 これから、付箋を付ける時は重々注意いたします。 でも、お世辞とか慰めの言葉ばかりって・・・? ここに、足を運ばれている方にも心あたりはあるでしょうね。

by. PN まる美

自分自身のつぶやきなので、自分のノートに付箋をしています。 喜怒哀楽は神に与えられた祝福。それを楽しまないのは、もったいない。 注意を受けたことでより良い方向に変換出来る、チャンスととらえられたら、人生もっともっと、楽しくなります。 ・・・この付箋には文字数に限界がある。 長文を書きたがる私には、良い修行の場です。

by. PN まる美

tukikoさん、付箋をつけていただき、ありがとうございます。 ですが<あのノートに対する反省はありません>と言われるなら、堂々とページを掲げ続ければ良いのでは、ありませんか? 付箋を付けていただいたことを「批判」とはまったく思っておりません。 「批判」を受けたと感じておられるのはtukikoさんではないのかと推測いたします。また、私がtukikoさんに反省を望むことなどひとつもありませんし、私はどなたも「侮辱」などはしていません。 自分を含め、女性特有の欠点的物のとらえ方、ネットの使い方の反省を促しているだけです。 男であろうと女であろうと「集団」になると嫌な部分が強調されます。 まして、b-noteは女性限定のサイトです。自制心と向上心をバランス良く、使っていただきたいと、考えを述べたまでです。 個人に語りかけるものは、その方のノートに付箋いたします。 ありがとうございます。

by. PN まる美

言霊的な意味合いのことを言っているのですね。たくさんの人たちが居て、それぞれの意見があるのは当然です。私の事を書いてあるであろうノートに付箋した事が批判なのでしょうか。 私は付箋の中に批判をうけたとか、傷つけられたという言葉は一言も書いていません。 議論も反論も苦手です。 私の反省の言葉を求めているのでしょうか。 どんなに侮辱されてもあのノートに対する反省はありません。 心が、穏やかになったら、もう一度あなたの付箋を読み返してみたいと思います。

by. tukiko

批判というものは「100%の話の中の0.1%を改善したらもっとよくなるよ」と言ってることなんです。 が、通じないものですね。 癒しを求めて、誉めあい慰めあいだけの場なら、自慰じゃあないですか! 発展も上昇もない、希望も高揚感もない。 議論や公論をすることで、 他を知り、知を高めることになるのですがね。

by. PN まる美

ネットの書き込みはすべてが公(おおやけ)。書く責任は持ちます。ですから、個人攻撃や名指しの嫌がらせなど、もってのほか。決してしてはいけないことです。 このサイトは女性限定ということですが、女性特有の欠点を克服し、品良く、見識深く、語り合える場にであってほしいですね。

by. PN まる美

「批判」という言葉の意味は「物ごとや、人の行動・意見などの欠点を指摘し、正しいかどうかを論ずること」「事物や学説の意味を研究して、その論理的基礎をあきらかにすること」「否定的に批判する立場に立つようす」を批判的ということです。 ですが、どんなに言葉をつくしても、単語の意味の取り方・使い方に齟齬があると、意思疎通は出来ません。 日本語を書いているつもりなのですが、訳のわからないことを書いているようにしか、読めないのでしょうか? 歯に絹着せぬものの書き方をすれば、傷つけられたとしか、受け取ってくれませんし。 なあなあ、ねえねえで馴れ合い、ごますりあいでは、人として女として向上できないでしょう。 精神的に心情的に少しづつ強くなって行く為には、嫌なことにも辛いことにも、向き合い知恵知識をフルに活用することをしたいですね。 自分は絶対正しいとは、思っていません。が、口調の強い書き方をしなければ、真に伝えたい「部分」をキチンと読み取ってもらえないこともあります。文章の解読力の低下がこんなところにも、現れているのでしょうか? 「横断歩道を正しく渡ろうね」と注意しても「ウルセイババァ」と飛び出す子供が事故にあっても、責任を取らなければいけないのでしょうか?確かに嫌な気持ちはしますが、人の親切を受け付けない者にまで、責任はもてません。

by. PN まる美

女性に限らず、現代人の悪い癖というのでしょうか、体質というのでしょうか、 「批判」とか「注意」というものに過剰反応するように、なっているようですね。自分に対し意見してくれることは貴重です。 自分の見識を広げる好機と捉え、考察に値します。 それは、人を落とすのではなく、自分が上がるの。 一条ゆかりのプライドは勉強になります。 私は自分を磨き続けるものでありたいです。 どんな意見もおききしますが、書いている内容をきちんと確認してから意見していただきたいです。

by. PN まる美