外から車内に吹き込む風が、彼女の髪を揺らしていた。
今日はなんだか夏めいていて、日差しも若干強めだった。
彼女は、髪の毛を押さえながら、窓の外を見つめている。
俺達はしばらく他愛も無い話をしていたが、彼女がふと、昨日の話を持ち出した。
「昨日とても大きな岩を見たんですけど、あれは、ここの名所なんですか?」
・・・彼女と初めて会った所にある、岩の事か。
今でもはっきりと思い出せる、あの時の、彼女の姿。
あの時も彼女は、今の様になびく髪を手で押さえ、そして俺の方を見ていた。
あの時と違うのは、彼女の髪が金色で無い事くらいだ。
今は「天使」ではないけれど、悲しげでなくなった彼女を見ている方が、
俺の心は安らいでいた。
昨日の印象とは変わって、無邪気で、楽しそうに笑っている彼女は、
別の意味でも、天使の様な感じがした。
声色も昨日と随分と変わって、明るく弾んだ様な印象を受ける。
昨日は、よほど消耗していたのだろう。
意外なほどに良く通る声で、嬉しそうに話していると、
まるで、鈴の音色が耳に届くかの様だ。
彼女は、車から見る外の景色を、楽しんでいる様だった。
昨日のあの様子だと、この辺りはあまり見れていないんだろうな。
少し井七里について説明していると、彼女は随分とのんびりした口調で、こう言った。
「
あの、私、ここが何ていう所か知らないんですけど、何ていう所なんでしょう・・・。」
その様子があまりにもおかしくて、つい俺は笑ってしまった。
「何も聞かされないで、ただ連れてこられただけだったのか。」
それにしても地名も聞いていないなんて、思っていた通り、天然な子なんだな。
―――駅名も、井七里なんだが。
「気分転換に良い場所を知ってるからって・・・。 それだけしか聞いてなかったんです。」
まぁ、駅名を見たりする余裕もないくらい、強引に連れてこられたのかもしれないな。
高速に乗り、しばらくまた井七里の説明をしていたが、俺は、それとは違う事を考えていた。
・・・彼女は今日、あの男と会うのだろうか。
あの男の話題が出て、また俺は気になり始めた。
もし今日会うのだとしたら、彼女は、無理に明るく振舞ってはいないだろうか。
そうだとしたら、そんな事はして欲しく無いと思った。
俺は、まだ、あの男と彼女が、どんな関係かは知らない。
仕事先の人とは聞いたものの、結局の所、男女の関係なのかはまだ解らない。
でも、彼女には、辛い思いをさせたくなかった。
そう考えると、彼女にあの男の事を尋ねる言葉が、口を衝いて出ていた。
「・・・昨日一緒に来た相手は仕事先の人だって、確か君から聞いたと思うんだが、
今日は、その男と会うのか?」
すると、彼女は少し慌てた様な印象で、説明を始めた。
やはり彼女は、今日、あの男と会うらしい。
でもそれだと、あの男と仕事先で2人っきりになる様な事があったら、
彼女はまた、昨日の様になるんじゃないのか。
俺は、それだけが気がかりだった。
「君は昨日随分辛そうだった様に見えたけど、そいつと会って平気なのか?」
言った後で後悔した。
俺の言葉は、彼女を追い詰めたんじゃないだろうか。
少し横目で彼女の様子を窺うと、少し思いつめた様に見えなくも無い。
「あの人は、仕事に対しては真面目な人だから、
とりあえず打ち合わせ中は、何も言ってこないと思います。
打ち合わせが終わったら、早々に帰ろうとは思ってますけど・・・。」
・・・とりあえずは、大丈夫なのか。
でも、やはり俺の言葉は、彼女を追い込んでしまった様だ。
少しずつ彼女の表情が、苦しげなそれに変わっていく。
「あの、私、あの人とは付き合ってるとかじゃなくって、本当に何も無いんです。
だから、旅館に誘われた時、本当に驚いてしまって・・・。」
切なそうに俺を見ているその面持ちは、本当に辛そうだった。
彼女に辛い思いをさせるつもりは、全く無い。
それなのに、あの男とは何も無いと彼女の口からはっきりと聞いた時、
安心している俺がいた。
―――俺は結局、自己満足の為に、彼女を問い詰めたのかもしれないな・・・。
「ごめん、ちょっと気になっただけなんだ。
君が無理して仕事に行こうとしてないんなら、別に良いんだ。
もし、嫌な事を思い出させてしまったら、悪かった。」
本当に申し訳ない気持ちで、心が満たされていた。
「そんな、謝らないで下さい。 心配して頂いて嬉しいです。
私、ちゃんと説明しようと思って、でも、うまく言えなくて・・。」
・・・この子は、本当に良い子だな。
それなのに俺は、妙に勘ぐってしまった様だった。
彼女にこう言ってもらえて、何だか救われた様な気分になる。
次のPAまで、あと800mとの表示が目に入った。
丁度良かった。
「昨日の君の様子だと、あの男に会うのが無理そうに思ってさ。
でも、君が大丈夫って言うなら、それで良いよ。
・・・次のPAで休もうか。 少し俺も休憩したくなってきたから。」
俺は、少し頭を冷やした方が良さそうだ。
そう思いながら、車を左の車線に寄せた。
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