ノートです。
8月15日は終戦の日。
このお盆中にその日が来ます。
そんな事に思いをはせている時、次のような記事を見つけました。
戦時中、そしてあの長崎の原爆の時、少女であった人が、とある青年に助けられた。
名も知らず、御礼も言えず、今なお、「伝えたい」思いはあるもの、消息を知ることが出来ていないそうです。
その方の、今も変わらない思いが綴られた「恋文」です。
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あなたの恋文特集「準大賞」 本田様=兵庫県西宮市・久保ミツエさん
長崎に原爆が投下されたあの日から61年もの歳月が流れました。私はあの惨禍の中で、あなた様に助けていただいた長崎高女生だった旧姓「竹野」でございます。あのとき私は水を飲んだとたん激しい吐き気で走れなくなり、地獄の惨状の中、手を引いて逃げて下さったあなたの力強い手のぬくもりを今も忘れることができません。
下宿まで送って下さり「お大事に」とただ一言残し、あなたは夕闇の中へ去って行かれました。私はあなたのお名前すらお聞きできなかった愚かさを後悔しておりました翌日、あなたは私の避難先の壕(ごう)までもお訪ね下さいました。あの時の驚きと喜び、そして、あなたの白いズックの「本田」というお名前を私は見逃しは致しませんでした。けれどそれっきりのお別れでした。
もしも奇跡が起きるなら「お会いしたい」と痛切に思います。血染めの日の丸のはち巻き姿だった本田さんは今も鮮やかに私の心の中に存在しつづけています。これからもなお……。
参考記事:『愛したい』原爆の日特集 忘れられぬ62年の思い
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この恋文を書かれた久保さんは、
「あの日の体験は悲惨で、思い出したくないんだけれど、本田さんとのことだけは、キラキラと、宝物のように光っています」
と語られています。

なんともやるせない思いになると共に、私も学生の時の先生の話を思い出しました。
私が学生の時の先生の先生のお話です。
その先生が若くしてある男性と恋に落ち、結婚しました。
折りしも戦時中。
二人の結婚生活はわずか1日。
結婚式の翌日には出兵が決まっていたそうです。
それでも、二人は結婚した。
でも、旦那様は二度と帰っては来ず、その先生は二度と結婚はなさらなかったと。
「なぜ、結婚なさらないのですか?」という問いに、
「あの人以上の人は、もういないから」との答えだったそうです。
私はその話を聞いて、「戦争はなんて、辛く悲しいんだろう・・」と涙したのを覚えています。
もうすぐ、8月15日。
どの様な思いを、みんなは抱えているのでしょうか。