元気になる言葉 100年後開けてみれば・・・

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純
2008年11月29日 17:29 |
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タグ [説話(1)] [お話(7)]

完全公開 元気になる言葉 100年後開けてみれば・・・

 

一休宗純、21歳。弟子が記した『東海一休和尚年譜』によると、心服していた老師を亡くし、石山寺で7日間誦経(ずきょう)し、川べりから入水自殺を図った。師を失った絶望か、青年期ゆえの迷いか。この未遂の後は堅田の庵(いおり)で、ひたすら座禅の清貧の行に没頭したという。最初の伝記とされる『年譜』から見えてくるのは、孤高険峻(けんしゅん)の道を行く宗教者の姿だ。 

南北朝統一の2年後。一休は北朝の後小松天皇の側室の子として生まれたと伝わる。よくあるご落胤(らくいん)伝説のようだが、現に酬恩庵(しゅうおんあん)の一休の墓は宮内庁の管轄だ。一休と宮内庁、とはそぐわなくておかしみがあるが。

 幼くして、禅の五山十刹(じっせつ)の安国寺や建仁寺に預けられた。が当時は、仏法を渡世の具に出世栄達を目指す僧ばかり。内乱で飢え、苦しむ庶民に向き合うことも、厳しい求道もなかった。

 放浪の旅に出た一休、42歳。木刀を差し、町へ出ては刀の柄(つか)をたたきながら歩いたという。町の人が尋ねると、答えた。

 「今諸方贋知識似此木剣(そこらのニセ坊主は、切れないこの木剣と同じだ)」

 自著『狂雲集』では自ら「風狂」と称し、戒律破りの肉食(にくじき)女犯(にょぼん)をあからさまに告白した。しかしそれは、周りの堕落した僧侶たちの正体を暴いてみせる偽悪との説がある。

 風狂狂客起狂風 来往婬坊酒肆中 具眼衲僧誰一拶 画南画北画西東(風狂の私は、遊郭に酒屋に自由自在。どんな僧も私の本質は見極められまい)

荒廃した大徳寺再興のために、あれほど地位や名声を嫌った一休が、請われて住職に就いたのは、81歳の時。しかし寺には入らず、死ぬまで山里の酬恩庵にとどまった。盲目の美女と暮らし、なまめかしい詩を詠んだのも、このころとされる。

 「一休のアウトローな振る舞いは、厳しい修行と悟りがあってこそ。見せかけだけの当時の僧に対する痛烈な批判を込めて、人間らしく本質を重んじることを説いた」。酬恩庵の田辺宗一住職(56)は、そうみる。

 時代はちょうど都を焦土にした応仁の乱のころ。人々は家や田畑、拠(よ)るべき寺院を失い、疲弊しきっていた。かくも人間性豊かで、異彩を放った奇僧に敬意と親しみをこめて語り継いだろうことは想像に難くない。

 そこから、「とんちの一休さん」は生まれてきたようだ。

 「一休ばなし」「一休諸国物語」……。江戸初期、著者は不明の説話集が相次いでまとめられた。現代に伝わる一休話はこのころに作られたという。

 作品中の一休はいつも庶民の視線だ。権威や迷信を嗤(わら)い、風刺し、とんちで難局を切り抜ける。虚実入り混じって一休像は膨らんでいく。研究者の元熊本大教授、中本環さん(67)は「絶対的なお上の存在が揺らぎ、生活者の立場を代弁する一休が庶民のヒーローとなって、行き詰まりを突破するような知恵が一休の逸話に擬せられて吸い寄せられていった」と話す。

 講談、歌舞伎から、児童文学、TVアニメへと、一休は時代のメディアに乗っていった。そして今、とりわけインターネット上で広まっているという遺言のエピソードとは、こうだ。

 死の間際に「いよいよという事が起こったら、これを開きなさい」と一休が遺(のこ)した封書。100年ほどして寺に大変な難題が持ち上がり、弟子たちはついに開けた。そこに書かれていたのは――。

 しんぱいするな なんとかなる

 それだけ。弟子たちは顔を見合わせ、吹き出して、笑いおさまった時、問題に立ち向かう力がよみがえっていたという。

 ケ・セラ・セラ 不安な心に光

 この話を本で読んだ大阪府堺市の特殊鋼鋳造会社社長、前垣内(まえがいと)克明さん(62)が10年ほど前、製品化したのが、小石大の合金製の『「大丈夫だ」石』。一休のその「遺言」が書いてある。握り締めていると、気持ちが晴れてくるのだという。

 販路は少しずつ広がり、今年2月、テレビ番組で紹介されると、わずか2か月で1万個が売れた。プレッシャーにさらされる営業マンや入院患者、受験生らが次々に買っていった。

 前垣内社長は「肩の力が抜けて、いつしかプラス思考になっている。不景気で不安ばかりの今こそ、一休さんの発想が生き生きとして見える」と言う。

 まさに現代への遺言、とも言えそうだ。

 ところで、この話の原典を当たろうと探したが、見つからない。田辺住職も、何人もの研究者たちも話は知っていたが、もとは「知らない」と言う。

 困って、話を載せている書物の著者に尋ねて回った。一人から、思わぬ答えが返ってきた。

 「私の創作なんです。随分前、講演で話に詰まってね。確か他のお坊さんかにこんな話あったと思うんだけど、一休さんなら言いそうだから」

 一休説話は生まれ続ける。

 時代が欲するかのように。

文・稲垣 収一

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