(とある幸せについての物語) *・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:
神が人々を幸せにするために、天界から降りてきました。
失明した人は神に
「私は、愛する家族の顔も綺麗な夕日も見たことがありません」と訴えました。
神が彼に視力を与えると、彼は幸せになりました。
「私は凍土の上でも炎天下でも労働を厭いませんが、
働くための土地が洪水で流されました」
と訴えた農民に神は農地を与えました。
農民は幸せになりました。
貧乏な青年がやって来て言いました。
「神様、私にはお金がなく家族も持てません」と。
神は彼にお金と美しい妻、可愛い子供を与えましたが、青年は暗い顔で
「神様、私には才能もありません」とさらに訴えました。
すると神は彼に才能も与えました。
数日後、青年はまたやってきてとうとう言いました。
「神様、私には幸せがありません。ください」と。
神は少々躊躇された後、
「(幸せを)与えよう」と言って、
これまでに与えたすべてのものを取り消しました。
その結果、青年は一人ぼっちのホームレスになり、
飢餓と悲しみと孤独に暮れる日々を送ることになりました。
2年後、神は青年に家族だけを返しました。
すると青年は「私は幸せだ!」と号泣しながら妻と子供を抱きしめました。

(論長論短 No.89 人は比較に頼る ( 宋 文洲さん発行メルマガ)より)
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ノートです。
これは「幸せ」について見事に言い当てている物語だと思います。
この話は以前、別の機会で読んだ覚えがあるのですが、
今回、宋文州さんのメルマガで再度目にしたので、これは出会いだなと思って、
、B-noteに残したいと思いました。
以前、こんな言葉を聞いたことがあります。
「人は幸せになろうと思ったら、その瞬間から幸せになることが出来る。」
例えば、
・仕事終わりに目の前にあるビールをゴクッと飲んで、美味しい!と思って幸せを感じる。
・いい天気だ~と思って、幸せだ思う。
・家族とのたわいない会話で笑い、幸せをかみ締める。
すべては、その一つ一つ、
自分に置かれた、そして与えられた情況をどう捉えるかということ。
幸せは自分次第で、いつでも手に入れることができる。
それに気付いている人は、既に幸せなのだと思うのです。