原爆詩人 栗原貞子さん平和への思い

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完全公開 原爆詩人 栗原貞子さん平和への思い

         

この詩は、このBノートの存在を知った時に

必ずノートすると決めていました。

まさしく、残したい、伝えたい・・・
又残さなければならない詩だと、
思っているからです。

女性は『守る』という意識を本能として強く持っています。

その能力は女性の強さでもあります。

この詩はご存じの方もいらっしゃると思いますが

あえて、この時期に今一度、私と一緒に

読み返していただけませんか


            
   
        生ましめんかな

こわれたビルディングの地下室の夜だった

原子爆弾の負傷者たちは

ローソク一本ない暗い地下室を

うずめていっぱいだった

生まぐさい血の臭い 死臭

汗くさい人いきれ うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た

『赤ん坊がうまれる』と言うのだ

この地獄の底のような地下室で

今、若い女が産気づいているのだ

マッチ一本ないくらがりで

どうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と『私が産婆です、私が生ませましょう』

と言ったのは

さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で

新しい生命は生まれた

かくてあかつきを待たず産婆は

血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな

生ましめんかな

己が命捨つとも



自分自身も被爆者である彼女は生涯、反戦・平和を訴え続け2005年3月に亡くなりました



私は戦後生まれで戦争の体験はありません。

ただ、小さい時から両親の戦争体験を聞いて育ちました。

父は当時まだ子供で東京の原宿に住んでいました。
7人家族で兄二人は激戦地へ出兵

東京空襲の時
今は,ブランドショップのビルなどが立ち並ぶあたりは
火の海になり

ひしめき合う人々に次々燃え移り

まさに地獄絵図

表参道の並木道は、炎の川になり、火災旋風が起こり
炎の竜巻に人々は、あっという間に焼きつくされ・・・


原宿駅近くの銀行の壁には、2メートル以上

吹き飛ばされた人間が突風によって積み上げられしまい

黒こげのお人形のようだったそうです


父の一家は寝たきりのおじいさんを雨戸に乗せ逃げまどい
家族バラバラになりながらも川に飛び込みました。

川に入っても両側から猛火があぶり
また、火の勢いで酸欠になり、川面は死体で溢れたそうです。
橋も人々を乗せたまま燃え尽き落ちました


そのような中で奇跡的に助かったそうです
激戦地に行っていた兄達も後に帰還

ご近所では奇跡の一家と言われました。

そんな奇跡で生かせてもらっている。
自分たちには、後世に伝える使命があるんだ。

ご近所の親しい友人や知り合いを沢山亡くした父は
子供だった私にいつも強く語ってくれ
被害を受けた事だけでなく、加害者としての日本の話もしてくれました。



父の影響で小学校低学年の時『ひめゆり部隊の最後』を
読んだときはとても衝撃を受けました。

日本の人口で戦争を体験した方の割合は25%を切ってしまいました。

今の平和は苦しんだ方々の歴史の上に成り立っています。

辛い過去に目をつむる事なく

次世代に伝え

戦争の無い平和を守っていきましょう


そして又世界中の平和もお祈りいたします。










本当にそうだと思います。私は、戦後の生まれですが?亡くなった、母や祖母から戦前や戦時中の話しを沢山聞きながら、育ちました。私自身。。姫百合の塔や長崎と戦時中の人達の思いに触れ、あの頃の苦しみや辛さ、無念さを知る度に今の平和な日本に感謝しながら、子供達に知って居る限りの戦争の話しをし続けて居ます。今の日本が平和なのは?沢山の被災者や傷を背負いながら、頑張ってくれた人達が居るお陰なので今時の子供達にどこまで理解してもらえるかは解らないけれど語り続けて行きたいと思いますよ。そして今の平和に感謝出来る子供達になって欲しいと思いますよ。。

by. 星空海

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まりねさんこんばんわ! 戦争を知らない世代が殆どになってきています、語りたくても、自分の中に深くとめて語れなく亡くなるなった方も多いと思います、 ノートを読むとみんな悲惨な中で生きそして命を落とし、戦後の私達は幸せな時代に生まれ生きている事に 感謝し大切に生きていかなければとあらためておもわさせていただきました、ありがとう☆

by. syouko2010

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まりねさんは、良い詩人さんをたくさんご存知ですね。 今回は広島にも国連やアメリカからも出席者がありましたし、世界も核兵器に対する考え方を見直す動きになってきているのかもしれませんね。

by. あいうえお

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一年前のノートでしたが、今日、改めてよませていただきました。 平和の尊さをかみ締め、後世につたえていかねばなりません。それが 大人の使命ですね。たとえ、経験なくても、風化させてはいけないのです。

by. しくらめん

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いちごみかんちゃん ありがとう このノートは私の名前は、載らなくてもよいから、多くの皆さんに伝えたくて描いたの 栗原さんの想いが通じて本になるのだと思います 感謝

by. まりね


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こんにちは^^ この度は、入選おめでとうございます! 出版が今から楽しみですね(^-^) 素晴らしいnoteをありがとう(*^.^*)

by. いちごみかん

白い紫陽花さん ありがとう まずは、知ることですが 戦争を体験なさった方々はトラウマで話せない方も多いそうです。 しかし、皆さん高齢になってきて、このまま誰にも伝えないままでは、いけない・・・と 勇気をもって話して下さる方もいらっしゃいます。 加害者としての体験も 耳を塞ぐ事無く、後世に語り伝えましょう。

by. まりね

先日 戦争体験者の方がテレビで話されてました 内容は加害者である内容のもの 妻であるもうおばあちゃんの年齢の方は「そんな話は今まで聞いたことない 聞きたくなかった」それは正直な意見です 私たちが知っているのは戦争のなかの奇麗事 上辺なんだとなんとなく思ってました まりねさんはそれを全部 実際に隠すことなくお聞きになったのですね  本気で戦争をやめろと言えるのは 実際の人間の酷さを 嫌だと思いながらもやらざるをえなかった それとやられた人たち と私も思います 今もアメリカは戦争をやめません でもどうしたら世界平和が実現するのか私にもわかりません 勇気をもって話してくれてありがとうございました

by. 白い紫陽花

しげさん こんばんは お父様も激戦地でお辛い思いをなさったのですね。 生き残った方々も生き地獄の中の生還。 又、戦死された方々への懺悔のような思いを抱えていらっしゃると伺いました。 そのトラウマは、生涯消える事は無かったと思います。 お父様のお気持ちも次世代に語り継いでいきましょうね。 私も心がけます。

by. まりね

私の父も戦争体験者でした。 亡くなって16年になりますが、父は青春真っ盛りの20代前半に招集され、ガダルカナルやカンボジア等々に行ったそうです。 幼い私に父は戦争の恐ろしさを面白ろおかしく話して聞かせました。 生前も年1回の戦友会に出席してました。 今、後悔するのは、何故もっと真剣に父の話を聞いてあげなかったんだろう、という事。 父は寝言でよく大声をあげてました。 今思えばそれはきっと 戦争の怖かった記憶が夢に現れてたのではないかと思います。

by. しげ☆

sora194さん こんばんは この日を毎年静かに迎える事が出来るのも、数々の犠牲になった方々上に成り立っています。 次世代に伝えていきましょう。

by. まりね

まりねさん。 小学校の図書室で原爆の本を 初めて読みました。どんな内容だったか覚えていないのですが気分が悪くなって家に帰ったことは 覚えています。戦争について考える日として終戦記念日を大切に過ごしていきたいです。

by. sora194

momokkoさん こんばんは そうですね。今平和だからこそ 伝えていかなければいけませんね。 平和の大切さがより一層身に染みます。

by. まりね

私の母も被爆者の一人です。 義父も戦争経験者でした。 これから私たちは自分の子供達に戦争の辛さなど語っていかなければいけない気がします。 今はまだ母が健在なので母が孫たちに話して聞かせてくれます。 ずっつ戦争の悲惨さをつたえていかなければいけませんね。

by. momokko

ミントスピカママさん こんにちは たとえ、空襲は少なくても、招集され、戦死なさったり、お怪我なさった方は、大勢いらっしゃると思います。 平凡な日常生活を送っていらした人達にとって、私たちには想像もつかない苦しみだと思います。 忘れてはいけない事ですね。 こちらこそ、よろしくお願いします。

by. まりね

初めまして、ご訪問・コメントありがとうございます。 戦争中各地では惨劇が色々あったのですね・・・ 京都は他の都府県には申し訳ないですが、戦争の被害はあまりありませんでした。 今でも後遺症に苦しんでいる人のことを忘れないようにしないといけませんね。 これからも宜しくお願いします。

by. ミントスピカママ

にょりさん 本当にせつないお話ですね 苦しい思いをなさった皆様の気持ちを無にしない様に この、事実を語り繋げましょう。

by. まりね

まやっちさん 私も子供の頃、外国映画をまねて、戦争ごっこを近所の子供たちとしていました。 それを見た母が後で優しく、戦争の事を話してくれたのを、覚えています。 そうですね、私たちの務めですね。 平和を守る為に伝えていきましょうね。

by. まりね

切なすぎますね…(;_;)

by. にょり

なんとも言えませんね・・ こんな時にでも命は誕生して、 その新しい命の息吹は人々の 心に働きかけるんですね 当然体験してないことだけど、 わかるような気がします うちの子たちはいま「戦争ごっこ」しよう、なんて言います。 まだ小さくてよくわからないけれど、これから一つ一ついろんなことを教えていかなければ、と思って。 私たちの努めですもんね。

by. まやっち

いちごみかんさん 原爆ドームは私も訪れてみたい場所です。 残し伝える為の世界遺産 このメッセージを語り繋ぎましょうね 本当にいきている事に感謝です。

by. まりね

こんばんは! 今月は広島・長崎の原爆忌、そして終戦の日と続き、改めて色々と考えさせられました。 5~6年前に原爆ドームを訪れましたが、思わず目を背けてしまう場面もありました。 今の私達は何て幸せなんでしょう。 生きている事に感謝ですね。

by. いちごみかん

くるちゃん 読んで下さってありがとうございます。 m(__)m 皆さまの思いを伝えていきましょうね

by. まりね

ぴゅあみんとさん とても大きな犠牲の上に生かされて頂いている、大切な命 私たちも、語り繋いでいきましょうね。

by. まりね

ゆりこさん 旦那様のお父様も奇跡の命なのですね。 私たちはこんな奇跡の生還をした方々の繋いでいる命が、途切れないよう、又亡くなった方々の思いを、そして事実を次世代に伝えていきましょう。

by. まりね

なんともいえない詩ですね…
毎年この時期、終戦の日、終戦の月になるとTVなどで、戦争の悲惨さを伝えてくれますね。
そして毎年、戦争を体験した方々が減っていく…
お国のためにと散った命の大切さを毎年必ず伝えていきたいですね。
今こうして生きていられるのは、そういった人たちのおかげですものね。

by. ぴゅあみんと

まりねさん、戦争の悲惨さは現状を目の当たりにした方にしかわからないところもあるかもしれません。命がここにあるだけでこの世に与えられた任務を感じるのかもしれません。この詩は知りませんでしたが、本当に強さが伝わってきました。 主人の父も顔の横を銃弾が横切ったとその時の恐怖を語り繋げています。 私もひめゆりの塔はみました 今の時代には考えられない、今の若い世代は幸せだとつくづく思います。この平和が続くように私も祈ります。

by. ゆりこ

ママーズハンドさん こんばんは 本当に私たちには想像も出来ない恐怖ですね。 目をそむけることなく、語り繋いでいきましょう

by. まりね

一世さん 読んで下さって ありがとうございますm(__)m 次世代に伝えましょうね

by. まりね

ストロベリーさん こんばんは 人間生まれた時は平等に美しくも純粋な心です。 育てる人 環境で 変わってしまう心 本当に無償の愛が必要ですね。 ありがとうございます

by. まりね

まりねさん、☆今晩は、 死体の下に隠れて死んだ振りをして難を逃れた方のお話を聞いたことがあります。今では、考えられない食べ物や恐怖を語ってくれました。私達には、想像がつかない世界でした。

by. ママーズ♍ハンド

地獄・・・ 未来ある子供たちを 愛を持って育てて欲しい 命あるものを 愛を持って接して欲しい 愛の無い人に 平和は築けない  無償の愛 ・・・世界に平和を

by. ストロベリー

フムちゃん こちらこそありがとうございます m(__)m 本当に悲しくてせつないですね。 でも私たちの世代が老人世帯になる頃、戦争体験者はゼロになってしまいます。 この思いを語り、次世代に伝えましょう。

by. まりね

まりねさんこんばんは 私の母は鹿児島の知覧町出身です。子供の頃特攻隊に入った近所のお兄さんが出征の時、家の上を飛行機で旋回し 羽をバタバタさせたのが忘れられないそうです。悲しく切ない事です。こういう事は忘れてはいけませんよね。思い出させて頂きありがとうございましたm(_ _)m

by. フムちゃん

しゅうこさん 本当にそうですね。 私たちも生かされているのですね。 だから、当たり前だと思ってはいけないのですね。 この平和に感謝し、語り継ぎましょう。

by. まりね

まりねさん、こんばんは。 私は、バブル世代で、戦争の名残など一切無い時代に生まれました。 でも、今、自分が生きているのは、昔の人達が一生懸命生きてくれたから、命が続いたから、今があるのだと思っています。 生かされているのだと思います。

by. しゅうこ