ノートです。
2008年4月16日の今朝、新聞で子どもの裏サイトが3万8000件という記事を読みました。
そして、子どもの裏サイトを規制するという話し・・・。
あまりにも「インターネットは悪」という問題のはきちがえに、思うところがあり
早速ノートしようと思った次第のノートです。

例えば、子ども達が運営するサイトが、
インターネット百科事典のWikipediaのように子どもの知識の集合体であれば?
例えば、インターネット上に子ども達が問題提起して、
お互いに切磋琢磨をしていけるような媒体であれば?
そのような場であれば、「インターネットは悪」として捉えず
インターネットをもっと活用して、さらに素晴らしい可能性を見出し、
発展させていくべく進んでいくはずです。
もっと身近なものに例えてみたいと思います。
例えば、ここに紙のノートブックがあります。
そこに子ども達がノートブックに誹謗中傷を書いて友達同士で回し読みをするので「紙のノートブックは悪」としてしまうでしょうか?
そんなことはありえないはずです。
つまり、モノが悪いと問題定義してしまうこと自体に問題があるのだと、
私は思うのです。
ここでは、
「全てのモノは、使う人間次第で善にも悪にもなる」
そういう認識が必要です。
まずはモノを使う人間に対して、どのような教育を行う必要があるのか、
そこに問題や課題を見出し「人として」のあり様を伝えていく必要があると考えます。
インターネットも使う人間次第で善にも悪にもなります。
善の方向にインターネットを活用する場合、
それなりのリテラシー(読み書き能力)が必要になってきます。
以前、人から聞いて感動した言葉があります。
「メールやインターネットで物事を伝える場合、
言葉遣いには普段の3倍以上気をつけて書かなければならない。」
確かに、パソコン上の文字のやり取りで行われる会話や情報の発信は、
自分がそのつもりがなくても、相手の気分を害したり、
きつい表現や無機質な表現になってしまう場合があります。
そういったことを避ける上でも、自分のリテラシーを向上させる、
そのリテラシーを向上させる上でも、
「人として」という根幹が形成されていないとダメだと思うのです。
まずは、インターネットに対して問題提起するよりも、
現代の私達の「人として」のあり方に問題意識を持つべきではないでしょうか。
子ども達に対しても、そういった姿勢を示すべき時だと私は考えます。