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ガンは身近な病気です。
わたしは2年ほど前に、乳ガンの手術をしました。
それまでのわたしにとって、ガンという病気は全くの「他人事」で、例えばテレビで闘病している患者さんのドキュメント番組に涙しても、「かわいそうに・・・」と思う程度でした。
ずっと不妊治療をしていましたが、子供を諦めて夫婦だけの生活を考え、家を建てました。そうしたらまさかの妊娠。嬉しい反面、おなかが大きくなってきても、何となく実感できない妊婦生活でした。
そんな状況でも臨月を迎え、結婚11年目にして母親になりました。出産の感動は今でも忘れられません。分娩台で、産声を聞いたときには嬉しくて嬉しくて、いい年をして大泣きしてしまいました。
こうして始まった育児は、やはり大変でしたが、夢にまで見た子供のいる生活に浮かれていました。そんなとき、右の胸に大きなしこりがあることに気づきました。乳腺炎なら熱が出たり、おっぱいが張って痛くなるはずですが、痛みはなく、ただしこりがあり、母乳が出にくくなりました。
おかしいな、と思いつつも育児に忙殺され、初めて乳腺専門外来を訪れたのは娘が生後半年になってからでした。
初めて「マンモグラフィー」で、胸のX線撮影をしました。そして、妊娠中に楽しみだったエコーを胸にあてて診察しました。そして、医師からしこりは腫瘍であり、悪性かを調べたいので詳しく検査をしたと言われたときでさえ、まだわたしの頭の中には「ガン」という言葉は出てきませんでした。
1週間後、検査結果を聞きに病院を訪れたとき、医師は開口一番「今日はお一人ですか?」と聞いてきました。
「いい大人が医者に来るのに一人じゃいけないの?」
なんて思いながら「はい」と軽く返事をしました。この時、先生は告知をするために家族に同席して欲しかったらしいのですが、全く気づきませんでした。
結局、ガンの告知は一人で受け、ステージⅢでリンパ節にも転移があることを知らされました。
どうやって帰宅したのか、よく覚えていません。が、とりあえず夫にメールをしました。
それから、まず腫瘍を小さくするために抗ガン剤による治療が始まりました。テレビで見たように、脱毛し、吐き気に悩まされました。何よりも苦痛だったのは、やっと授かった娘の面倒を自分で見られなくなってしまったことでした。一日一日、成長を見せる娘を、ちゃんと見てやることができなくて、ガンになった自分を責め、呪いました。
また、抗ガン剤がとても高価なもので、週1回の点滴に5万円近くを支払いました。わたしはガン保険に加入していなかったので、生命保険はアテにできず、湯水のように出ていくお金に呆然としてしまいました。
手術の後には、念のためにまた抗ガン剤治療。そして放射線治療を行いました。
娘はこの間に1歳の誕生日を迎え、よちよち歩くようになり、言葉も出てきました。
「この子が成人するまで、死にたくない」
最初の抗ガン剤治療で脱毛し、自分は本当にガンなのだと自覚させられたとき、思いました。この頃が「死」というものがとても身近に感じられ、同時に死に対する恐怖感が押し寄せていました。それに負けたくない一心で、娘の成長を支えにしました。
現在、右腕に多少の後遺症はあるものの、普通に生活しています。ごく当たり前の毎日を、ごく自然に過ごせるようになりました。
日本人女性の20~23人に一人の割合で発症するといわれている乳ガン。もはや他人事ではありません。そして、保険加入率ほぼ100%の日本で、ガン保険に加入していなかったことの、自分の愚かさを感じています。今、「わたしは大丈夫」と思っていらっしゃる方も、保険にだけは加入しておいていただきたいと思います。個人差はありますが、ガン治療にはとてもお金がかかります。わたしは今も3ヶ月に1回、検診に通院しています。おそらく、一生の「おつき合い」になると思います。
どうか、年1回は子宮ガン検診や乳ガン検診を実行してほしいと思い、書きました。
わたしは不妊治療をしていたので、子宮ガンの検査はしていましたが、乳ガンは婦人科ではなく外科の分野になるので、産婦人科では啓発してくださいません。乳ガンの潜在期間はおよそ10年と聞きました。もっと早く検診を受けていれば、リンパ節まで転移する前に気づけたと、やはり後悔することが今でもあります。
すべての女性が、ガンの苦しみなど味あわずにすみますように、祈るばかりです。
それまでのわたしにとって、ガンという病気は全くの「他人事」で、例えばテレビで闘病している患者さんのドキュメント番組に涙しても、「かわいそうに・・・」と思う程度でした。
ずっと不妊治療をしていましたが、子供を諦めて夫婦だけの生活を考え、家を建てました。そうしたらまさかの妊娠。嬉しい反面、おなかが大きくなってきても、何となく実感できない妊婦生活でした。
そんな状況でも臨月を迎え、結婚11年目にして母親になりました。出産の感動は今でも忘れられません。分娩台で、産声を聞いたときには嬉しくて嬉しくて、いい年をして大泣きしてしまいました。
こうして始まった育児は、やはり大変でしたが、夢にまで見た子供のいる生活に浮かれていました。そんなとき、右の胸に大きなしこりがあることに気づきました。乳腺炎なら熱が出たり、おっぱいが張って痛くなるはずですが、痛みはなく、ただしこりがあり、母乳が出にくくなりました。
おかしいな、と思いつつも育児に忙殺され、初めて乳腺専門外来を訪れたのは娘が生後半年になってからでした。
初めて「マンモグラフィー」で、胸のX線撮影をしました。そして、妊娠中に楽しみだったエコーを胸にあてて診察しました。そして、医師からしこりは腫瘍であり、悪性かを調べたいので詳しく検査をしたと言われたときでさえ、まだわたしの頭の中には「ガン」という言葉は出てきませんでした。
1週間後、検査結果を聞きに病院を訪れたとき、医師は開口一番「今日はお一人ですか?」と聞いてきました。
「いい大人が医者に来るのに一人じゃいけないの?」
なんて思いながら「はい」と軽く返事をしました。この時、先生は告知をするために家族に同席して欲しかったらしいのですが、全く気づきませんでした。
結局、ガンの告知は一人で受け、ステージⅢでリンパ節にも転移があることを知らされました。
どうやって帰宅したのか、よく覚えていません。が、とりあえず夫にメールをしました。
それから、まず腫瘍を小さくするために抗ガン剤による治療が始まりました。テレビで見たように、脱毛し、吐き気に悩まされました。何よりも苦痛だったのは、やっと授かった娘の面倒を自分で見られなくなってしまったことでした。一日一日、成長を見せる娘を、ちゃんと見てやることができなくて、ガンになった自分を責め、呪いました。
また、抗ガン剤がとても高価なもので、週1回の点滴に5万円近くを支払いました。わたしはガン保険に加入していなかったので、生命保険はアテにできず、湯水のように出ていくお金に呆然としてしまいました。
手術の後には、念のためにまた抗ガン剤治療。そして放射線治療を行いました。
娘はこの間に1歳の誕生日を迎え、よちよち歩くようになり、言葉も出てきました。
「この子が成人するまで、死にたくない」
最初の抗ガン剤治療で脱毛し、自分は本当にガンなのだと自覚させられたとき、思いました。この頃が「死」というものがとても身近に感じられ、同時に死に対する恐怖感が押し寄せていました。それに負けたくない一心で、娘の成長を支えにしました。
現在、右腕に多少の後遺症はあるものの、普通に生活しています。ごく当たり前の毎日を、ごく自然に過ごせるようになりました。
日本人女性の20~23人に一人の割合で発症するといわれている乳ガン。もはや他人事ではありません。そして、保険加入率ほぼ100%の日本で、ガン保険に加入していなかったことの、自分の愚かさを感じています。今、「わたしは大丈夫」と思っていらっしゃる方も、保険にだけは加入しておいていただきたいと思います。個人差はありますが、ガン治療にはとてもお金がかかります。わたしは今も3ヶ月に1回、検診に通院しています。おそらく、一生の「おつき合い」になると思います。
どうか、年1回は子宮ガン検診や乳ガン検診を実行してほしいと思い、書きました。
わたしは不妊治療をしていたので、子宮ガンの検査はしていましたが、乳ガンは婦人科ではなく外科の分野になるので、産婦人科では啓発してくださいません。乳ガンの潜在期間はおよそ10年と聞きました。もっと早く検診を受けていれば、リンパ節まで転移する前に気づけたと、やはり後悔することが今でもあります。
すべての女性が、ガンの苦しみなど味あわずにすみますように、祈るばかりです。
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